【輪廻転生の話】汚職総督が清廉な官僚に生まれ変わった物語

中国清朝の後期に陳其元という清廉な官僚がいました。彼の著書『庸閒齋筆記』には、祖父・陳萬森の輪廻の話が記述されています。陳萬森の生い立ちについて彼の祖父、即ち陳其元の高祖父の陳鑣から述べなければなりません。

陳鑣は現在の雲南省で官職についていました。地元の総督は性格が横暴なうえ、貪欲な人で、些細なことで部下を怒鳴ったりいじめたりしていました。それ故に、総督に対してご機嫌取りをする官僚が殆どでした。

ある日、赤金2百両の買付を終えた陳鑣は、品物と費用の内訳リストを総督に報告すると訳もなく、いきなり怒鳴りつけられました。悔しく思った陳鑣は辞職しようと考えましたが、タイミングよく総督が金銭の問題で諫官に弾劾されました。皇帝は相国(国の政務を総攬する官職)劉文正に捜査を命じました。陳鑣が早速劉文正を訪れたところ、総督側の人間だと誤解され、面会を断られました。

のち、総督の自宅から汚職した記録が見つかりました。その記録には出どころや金額などが、一目瞭然に記されていたのです。そして、陳鑣の名前もあり、名前の下にはこう書かれていました。

「陳鑣は買付の赤金2百両を届けてきたが、黙って差し出すのかと思えば、私に支払いを求めてきた。だから退けた」

劉相国はこの事実を知ってから、陳鑣のことを見直しました。

その後、総督は投獄されました。これまで忖度して追随した人々の中には、総督のことを誰一人気に掛ける人はいませんでした。しかし、意地悪されたり難癖をつけられたりしたのに、陳鑣は総督に衣服と食べ物を届けました。また総督が都に護送される時にも、陳鑣は金銭を届け、援助をしました。総督は自分が恥ずかしくなり頭を深く下げて陳鑣に言いました。

「僕は人を見る目がなく、あなたという人物を見極められませんでした。今回、生きて帰られるなら必ず恩を返します。もし容赦されない罪になったら、必ず来世にあなたの子孫になって恩返しします」

総督は都にて有罪となり、処刑されました。

十数年が経って、退職した陳鑣は故郷へ戻りました。総督のことはすでに忘れていました。ある日、陳鑣が書斎でうとうとしていると、突然、総督が来たことに気づきました。椅子から起きようとした時、総督はもう目の前に立っています。総督は跪いて陳鑣に言いました。

「恩返しに参りました」

陳鑣が総督を立たせようとしたら、総督はさっさと別の部屋に入りました。驚いて夢から目を醒ますと、4番目の孫が生まれたと知らされました。その子が恩返しのためにこの世に転生して来た総督だと分かりました。

陳萬森と名付けられた孫は満月になった時、乳母に抱かれ陳鑣に会うとすぐに微笑みました。陳鑣は頭を撫でながら言いました。

「将来官職についたら、決して貪欲になってはならないぞ」

すると生まれて1か月になったばかりの陳萬森は、あたかも悲しい過去を思い出したかのように泣き出しました。陳萬森の孫・陳其元はこのことを『庸閒齋筆記』に記しました。

「祖父の陳萬森は自らこう言っていた。行政や改革は大胆に行うが、金銭に関わる時は非常に警戒し、慎重になると」

陳萬森は道光元年(1821年)に泗州(現在の安徽省)長官代理に就任しました。陳萬森は真面目で清廉潔白な人でした。泗州では水害が多く、水害発生後は災害状況を朝廷に報告し、救済を申請していました。

一部の役人はいつも被災者を水増しし、多くもらった救済資金を懐にしまっていました。陳萬森は彼らと一緒に悪事を働くことを拒んだため、上役の恨みを買い、辞職をする羽目になってしまいました。周りから愚か者と言われても、彼は一笑に付していました。陳萬森は自分の子孫にこう言っています。

「私はお金は得られなかったが、『清廉潔白な役人』の名称をあなたたちに残すことができた。これも大きな財産ではないのか?」

陳萬森の人となりは彼の子孫に大きな影響を与えました。陳其元は新陽県で行政の任に就いた時、災害が発生しました。一部の役人から収穫した穀物の数量を少なく報告すれば、残りを自分のものにできると唆されました。すると、彼はこう返しました。

「祖父は当年、救済金を自分の懐に入れることは決してしなかった。私も災害を利用して私服を肥やすことはできない」

※新唐人より転載

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